ビートルズを語る。

ビートルズとはどんなバンドなのか?

ビートルズはざっくりいえば、ロックンロールという流行りの音楽を、ロックという1つのジャンルにした奴ら。だと、僕は捉えている。

元々ロックンロールはブルースから派生した音楽で、黒人によってアメリカで生まれた音楽だった。
50年代半ばごろからあって、チャックベリーとかエルヴィスプレスリーとか色んなアーティストが居て、当時の流行りの音楽だった。
だけどそのロックンロールは基本アメリカの音楽で、アメリカ以外の国でロックンロールをやってる奴らなんて大したのが居なかった。
ビートルズはイギリス出身だ。しかもリバプールという田舎町。そんな田舎者がロックをやって成功したことが、どう考えても新しかった。ロックが単なる流行ではなく、一つのジャンルになった瞬間であり、イギリスのロックが強くなった瞬間でもある。
実際、ビートルズ以降の音楽界では、UKロックはアメリカのロックよりも明らかに質が良い。UKロックという概念を作り出したところがやっぱ、すごいんじゃないかな。

 

▷かなりの不良バンドだった。

ビートルズのイメージが、教科書に載るような存在だと思っている人は、誤解と言っても良いかもしれない。
ビートルズは元々超〜不真面目な4人だ。デビュー前はタバコ、飲酒、セックスなど、めちゃくちゃ荒れていた。ドイツのハンブルクでの下積み時代は特にやばかった。
そんな不良バンドだったビートルズを変えたのが、マネージャーのブライアンエプスタイン。彼はビートルズをマッシュルームカットにしたり、演奏後必ず礼をするシステム設けたりしたことで、ビートルズにアイドル的な要素を付け加えた。それにより若い女の子に流行るような可愛い系のバンドとして1962年デビューしたわけだった。

 

▷前半はアイドル期

前半、まさに1962〜65年辺りまでは超アイドルバンドって感じだった。今で言うジャニーズみたいな。いや寧ろ、ジャニーズとかあーゆーのの原点って言っても良いと思う。
女の子達に追っかけ回されたり、ライブ中はファンの叫び声で演奏が全く聞こえないほどだったり、とにかくアイドル過ぎるバンドだった。(もちろん自分たちで作詞作曲してるから、アイドルって表現が正しいのかは微妙かもだけど、ただ超若者受けの、特に女子人気が異常だったバンドなのは間違い無い)

しかし、そんなアイドルっぽさに嫌気がさしていた彼らは、突然ライブをやめるようになる。当然ファン等は彼らを見て叫んだり追っかけ回したりできなくなった。

 

▷中期、もはや全然番人受けしない実験派バンド

ライブを辞めてからいきなりアイドル感全く消え始める。そして彼らはレコーディングスタジオに篭り始める。テープの逆再生とか、インド音楽やったりとか、キモオタ系のバンドに一気に変わった。
ラバーソウルって言うアルバムの辺りからおかしくなり始め、リボルバーは1番いかれたアルバム、そしてサージェントペッパーズロンリーハーツクラブバンドではとうとう、プログレッシブロックみたいなことまでやり始める。
そんな、番人受けしない感漂ってるバンドがこんなに番人受けされてる事は、もはやかなり変な話だ。まぁ僕はもちろんこの頃のビートルズが1番好きだけど。

 

▷末期、仲間割れと解散

後半からメンバー同士の仲が悪くなっていく。特にリードギターのジョージハリスンが、途中から才能開花し始めて、めっちゃ良い曲書きまくり始めるんだけど、それなのにジョンやポールは、彼が書いた曲を全然アルバムに入れてくれなくて、結構ジョージはイライラしてた。
結局全員仲悪い感じになって、ホワイトアルバムの頃はそれぞれのソロアルバムみたいな感じになってしまっていた。
レットイットビーの頃は仲直りしよーぜ的な感じになって、ゲットバックセッションとかいって久しぶりに辞めていたライブを復活したりするけど、最終的にはアビーロードの出た1969年、ほぼ解散状態。1970年になってすぐ、ポール脱退により解散となった。

 

そーんなバンドです。ざっくり語ってみました。ビートルズってバンド、良いでしょ?

女性アイドルの歴史を勝手に語ってみた。

そもそもアイドルっていつから存在したのだろうか。それは70年代の前半だと言われている。
60年代までは映画が娯楽の中心だった。だからそれまでは映画で活躍してるような女性が基本的に人気だったわけです。吉永小百合なんかがその代表例。タモリさんも彼女が好きすぎて芸能界入ったって言ってたな。
でも70年代に入ってから映画が廃れ始めて、カラーテレビが普及し始めてみんなテレビばっか見るようになって、それに伴ってアイドルみたいなのも現れ始めた。
アイドルって意外と新しい文化なのだ。

 

▷まず70年代初頭に現れた3人。
小柳ルミ子
南沙織
天地真理

彼女たちが多分日本で1番最初のアイドル。

 

花の中3トリオ
山口百恵
桜田淳子
森昌子
1973年の桜田淳子のデビューは特に凄かった。
『わたしの青い鳥』という曲は大ヒットを遂げる。

 

松田聖子のデビューと山口百恵の引退
1980年という年は本当に凄い年だった。
世界的にはジョンレノンが殺されたことで有名な年だけど、山口百恵が引退して松田聖子がデビューした年でもあるのだ。
完全にアイドルの歴史が大きく変わった瞬間だった。
松田聖子のデビューは衝撃的なもので、裸足の季節という曲でデビューして以降、ひたすら大ヒットを連発する。聖子ちゃんカットのアイドルが次々にデビューしていくのも、彼女のもつ影響力の大きさを反映している訳です。

 

▷アイドル黄金期に突入
松田聖子に続いて、80年代を代表するアイドルがたくさんデビューするのが1982年。
中森明菜小泉今日子など、後の超大物アイドルが次々にデビューしていく。
80年代はまさにアイドルの黄金期だった。

▷アイドルの常識がぶち壊される
80年代のアイドル黄金期は、アイドル=天使みたいな感じだった。アイドルってのはもちろんトイレには行かないし、歌も超上手いし、踊りも上手いし、超可愛いし、もはや人間では無い存在みたいな。
でもそんな存在という常識を完全に打ち壊した奴がいる。それが秋元康だ。
おニャン子クラブという彼のプロデュースしたアイドルは、踊りも下手だし歌も下手だし、何より下品なのだ。とてもじゃ無いけど今までの松田聖子中森明菜なんかとは比べ物にならない次元。
でもおニャン子クラブはかなり人気が出て、夕焼けニャンニャンって言うおニャン子クラブが毎週出るテレビ番組まで生まれた訳だから、秋元康は凄いよね、皮肉だけど。

 

▷アイドル低迷期
80年代後半から、極度にアイドルは衰退していく。
もちろんその頃も人気があったアイドルは山ほどいる。
酒井法子
南野陽子
森高千里
wink
などなど
でも彼女らは90年代に入るともうほぼ完全に消えてしまう。(まぁ森高千里酒井法子は90年代半ばに勢い取り戻すんだけど)
何故かと言うと。この頃はバンドブームの全盛期だったからだ。

三宅裕司が司会をやった番組、平成名物テレビいかすバンド天国。通称イカ天
このイカ天という番組は、社会現象になるほど日本中に影響力を持っていた。
マチュアのバンドがそれぞれ持ち曲を演奏して、プロの審査員によって審査して貰って毎週のイカ天キングが決まる。
5週勝ち抜くとグランドイカ天キングとなり、グランドイカ天キングとして有名になってそのままメジャーデビューしたというようなバンドも多く、BEGIN、たま、フライングキッズブランキージェットシティなんかがそうだ。

そんな時代だったからか、人気の出るアーティストも大抵が自主作曲するようなアーティストだったり、バンドだったりだった。
たま、プリンセスプリンセスなんかがメディアの上位に居たあの時代、かなり異色だったと言える。
しかしその結果アイドルは超低迷していた。
その頃のアイドルって言ったら、COCOとかribbonが有名かな。
COCOのはんぶん不思議は名曲。
でもそんな程度で、森高千里なんかが売れたりとかもあったけど基本的に地味な時代が3〜4年続いた。

 

小室哲哉の登場

小室哲哉は1986年に渡辺美里のmy generationを作曲したりしていて、既に彼を知ってる人はそこそこいたと思われるが、本当に誰もが知る超大物プロデューサーへとのし上がったのはavexを立ち上げた頃からだったと言える。今じゃavexは誰もが知る超有名な会社だけど、小室哲哉が加入した頃は規模の小さいインディーズ用の事務所だった。
だけど小室哲哉avexで1994年にTRFをプロデュースして以降、大きく変わる。
小室哲哉は1994年頃からTRF篠原涼子なんかをプロデュースし始める。
1995年にはダウンタウンの浜ちゃんなんかにも楽曲提供した。H Jungle with tというアーティスト名で『WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント』という曲を浜ちゃんが歌った。これも大ヒットする。
特に人気が凄かったのが安室奈美恵で、アムラーという言葉まで生まれる。
また小室さんはプロデューサーというよりアーティスティックな面が強く、元々TM Networkというバンドを組んで居たりと、メディアに出ることも多かった。それもあって小室哲哉はglobeという、自分もメンバーとして出るバンドも作って、そのglobeも大ヒットする。
この頃はもはや、小室哲哉が書けばだいたい売れる。そう言う時代だった。この頃のアーティストをまとめて小室ファミリーと呼んだりする。

 

▷誰も想像してなかった小室哲哉の衰退
小室哲哉は全盛期、日本有数の金持ちと呼ばれた。少なくとも芸能界で最も金を稼いでいたのは彼で、新聞にも載るほど。相当な金持ちであることはメディアで報道される程だったのだ。
そんな小室さんは1998年頃から途端に消えていく。何故なのかは僕も分からない。でもその頃から音楽の常識が変わり始めていた様な、そんな感じがする。

 

R&Bモーニング娘。
宇多田ヒカルが現れて以降はもはや、日本のポップス界は今と対して変わらない。
現代のポップスの基礎が宇多田ヒカルだったんだと個人的に思っている。日本ではじめてR&Bをやったのが宇多田ヒカルだった。R&Bは完全なる黒人女性が歌うようなものであって、日本で出来るなんて誰も想像できなかったであろう。宇多田ヒカルとかMISIAとか、90年代末期にはそんな、黒人のシンガーが歌うかのような歌い方をするアーティストが売れた。今までのポピュラー音楽の、概念が変わるような瞬間だった。

モーニング娘。が現れたのも90年代末期だった。
モー娘はASAYANというオーディション番組で生まれたアイドルだ。
ASAYANモー娘。が誕生した瞬間はYouTubeでも当時のテレビ映像が見れるので興味がある方は是非調べて見てほしい。
ASAYANはナイナイの2人が司会をやってた番組で、既にこの番組から小室哲哉プロデュースの鈴木亜美がデビューしてたので、期待してリアルタイムで見てた人も多かった。
もともとシャ乱Qがアイドルをプロデュースするという企画で、1人だけを決める筈だった。
一般人の何万人という中から6人に女の子を絞って、寺に合宿させて禅を組ませたり発声の練習をさせたり、結構厳しい中それでもめげずにやり退けた1人を選ぶつもりだったんだけど、思いの外あまりにいい人材が多くて、可哀想だということで結局残りの5人もデビューさせちゃおう。そういうことで生まれた5人がモーニング娘。になったわけだった。
一方で、もともと1人だけデビューする筈だった平家みちよは全然売れず、2002年に一度引退している。しくじり先生なんかで取り上げられるほど、モーニング娘のせいで人生がめちゃくちゃになってしまった人間である。

モー娘。は負け組枠として始まったながら本当に大ヒットを遂げ、特に後藤真希が加入した1999年頃からは凄く、LOVEマシーン、恋のダンスサイト、恋愛レボリューション21ザ☆ピ〜ス!などがヒット、全盛期を迎える。

現代のアイドルに関してもこの時代に基礎ができたと捉えるべきだと思う。モー娘。の影響はかなり大きく、後のアイドルがグループになっていることが多いのも、モー娘。という存在が与えた影響と間違いなく言えると思う。

 

モー娘。の衰退
2002年頃からモーニング娘。の人気は次第に落ちてゆく。

 

秋元康復活。軌道に乗る。
2006年頃からAKB48をプロデュースし始める秋元康。彼はおニャン子クラブで既に成功してはいたものの、軌道に乗るようなことはなく、90年代以降、完全に衰退していた。
でも2010年代に入りAKB48ヘビーローテーションフライングゲットなどで社会現象になるほどの大ヒットとなり、完全に軌道に乗るものとなった。これは女性アイドル界初の完全に軌道に乗ったものだったと思う。男性アイドルだと、ジャニーズなんかは80年代から基本的に常に軌道に乗っていて、廃れて他の事務所が勢力を追い上げたというような例はここ40年一度も起こっていない。秋元康も未だに坂道シリーズとか言って売れてるから、そのような例になったのだと言えるわな。

 

秋元康のやり方は他のプロデューサーと大きく異なっていた。CDが売れないインターネット世界だからこそのCDに握手券を入れるというシステムを設け、CDが売れないこのご時世にAKBのCDだけバカ売れという意味の分からない現象が起こった。
おかげでオリコンはAKBばっかりが上位に上がり、今年のCD売り上げの一位は何か?という常に人々が楽しみにするようなものも、全く面白味のないものと化した。
それどころか、今世間で何が流行ってるのか、それすら分からなくなるような時代が続いた。
何を頼りにして今流行ってる音楽を知るのか、それが分からない感じの時代が今も続いている。
インターネットによって情報が錯綜してるからってのもあると思うけど、これをみんな聴けっ!って言ってくれるような存在が昔は音楽番組だったり、テレビや雑誌を多くの人が見てたからこそ正しい解釈で音楽を捉えられていた訳だけど、今はどうなんだろうか。僕がただ単純に無い物ねだりをしてるだけなのかもしれないけど、昔の方がいい音楽に出会えるシステムはうまくできていたんじゃないかなと思う。
秋元康が作り上げたシステムと、インターネットの普及が日本の音楽の在り方をかなり変えてしまったんじゃないかな、そう思っている。